しら月堂のいろ鳥どり

脳内整理と断捨離のため、徒然に

なんのため

ごきげんよう

 

今日は昔の出来事をブログ記事にまとめてアップしたりしたけど

その意味についてしばし考えて、立ち止まる。

 

これって、なんのための記事?

 

今日のところの答えは

「私の中に、まとめたい欲求があるから」。

 

書きたい、と思って集めて置いたネタは

実際には書いたりまとめたりする時間が足りなくって

そのまま放置されることになることが多い。

 

それがいいのか悪いのか

 

実際にまとめる時間が取れないということは

まとめる時間以上に大切と感じていることを実行しているからであって

 

まとめないということは

重要度もそれなりということ。

 

…かと言って

今日わざわざ時間をとってまでまとめてみたものを後から読み直してみて、

その内容がさほど重要とは思えなかった場合、

 

なんのために書いたの?

 

と、再び問われれば、

 

自分の書きたい欲求を満たすため、

 

としか、答えようがない。

結局、それだけだったりするらしいのだ。

 

何を今更。他人事みたいに。

とも思わなくないけど…

 

でも、とにかく、そうらしいのだ、ということに気づいたのは発見。

 

今現在の私は、これまでの経験を、体系化したいらしい。

それは、自分にわかる形で、

そこそこの内容レベルになっていれば満足できると思われる。

 

いよいよ、何をやって何をやらないかを選択するにあたり、

切り捨てるべきものが自分でわかるようになる必要が出てきたらしい。

 

つまるところ結局、時間術の話に帰結するらしいんだな、これが。

 

 

自分のことなのに他人事のよう、というのはよくあることだ。

自分という生き物が、

今現在の自分と

過去の自分と、

バラバラに感じることが多い。

 

過去に経験したことは、過去で完結していて

さほど今の自分に活かせていると思えないことが多い。

 

過去の自分を尊敬したりさえする。

(そんなこと、今の私にはできない、という風に感じる時に)

 

毎日慌ただしく、こなすだけの生き方をしてきたツケが

今頃になってこんな形で現れたのかなぁ?とも思う。

 

 

体系化は、

なんでもない過去の自分を、無駄に神格化することなく

ごく普通に、今の自分の経験として活かすために

今の自分に必要な作業なのかもしれないと、これを書きながら思った。

 

体系化は、

自分にとって大切なものを理解するプロセスでもあるようだ。

何をして、何をしないか。

 

たくさんのやりたいことの中から、スムーズにやらないことを捨てる。

捨てられる人になるために、捨てるべきものを理解するために、

自分を統合する必要性があることが理解できてきた。

 

捨てるものがわかり、スムーズに捨てられれば、

より重要なもの「だけ」にたっぷりと時間を費やすことができるから。

 

 

 

こなすだけじゃない生き方。

染み込ませて、今日に活かす生き方。

追われない生き方。

追いかけてワクワクするような生き方。

 

そんな生き方をするために

もがいてみようと思うんだな、きっと。

 

Q.

これって、なんのための記事?

 

Final Answer. 

体験したことを形として残して定着させて、今の自分と統合し、

捨てるべきものに気づいて手放し、

より惹かれるものだけに集中して、ゆったりと精力的に取り組むため。

 

なんのためか、まとめ、おしまい☆

 

ごきげんよう、さようなら。