しら月堂のいろ鳥どり

脳内整理と断捨離のため、徒然に

<本>自分をいかして生きる(西村佳哲・2011)

ごきげんよう

 

家にある、数々の断捨離したい本から、

ふと手に取った本のタイトル。

タイトルに惹かれて買ったものの、読む時間を取れなかったってやつ。 

 

例によって積ん読していたものなんだけど

読んで見たら今の私にこそ響く内容だった。

 

 

本の中から、響いた言葉の数々&その感想はこんなところ。

きちんとまとめたいけど

すぐ分かりやすくまとめる力が今は足りないので

そのまま、メモしておいたものを書く。↓

 

<引用しながらメモ> 

 

働き方とは、日々の仕事の中で練り上げられるもの。

 

だから、後から言語化される方法論は、

その人たらしめているなにかと密接につながっていて

 

日々の練り上げが、そもそもない人には同じように響かない可能性がある。

 

バックボーンも環境も違っても、日々の練り上げがある人には、

響くポイント、共通項が見つかって、大いに響く可能性がある。 

 

学習とは、

体験を一度抽象化して、他の物事にも適用できるようになること。 

 

「仕事をする」というより

「自分の仕事をしている」ように見えた

(その人たらしめているなにかと密接につながっている働き方)

 

やるからには「自分の仕事」にする

自分をどういかして生きてゆくかという課題

 

人間の仕事とは

死ぬまで自分をいかして生きること

 

人は 

よりたくさん 生命(いのち)が入っているものを求めている

 

心が満たされるのは

自分の存在が認められる時

(このこと以上に、人の心を満たすものはないんじゃないか)

 

印象を良くするための様々な工夫フレーバー、香料のようなもの

 

人の仕事に触れ続けて生きる

無数の存在感と不在感

 

「いる」仕事が人を元気にする

 

触れた人が

より新鮮で生き生きとした状態になること

 

存在の輪郭がよりハッキリすること

 

生まれ直すような人間の創造性

より生きているようになることを助ける働きが いい仕事

 

その仕事を成している存在を目撃した自分の存在が

より生きることに向かって身を整えた、小さな反応

 

人の勇気を起動して突き動かすのは

何よりも実際に勇気を出して行動した人の姿だ

 

「自分がいる」仕事をすること

 

大切にしたいことは?自分がお客さんでいられないことは?

 

見たくない

ザワザワする悔しい

落ち着かない

 

出来てないことも可能性

 

こうありたい自分

そうではない現実

 

要するにある段階から言い訳が効かなくなってしまったのね。

 

お金を使うことだとか

時間をかけすぎることなどについてね

 

何か理由がないと言い訳ができないレベルに足を踏み入れてしまっていた

 

障害や問題に直面するも

 

ではどうする?

と次の行動に移る思考習慣が身についているのかもしれない

 

始めれば始まる

 

いがらしみきお 社是

なんでもやる

とにかくやる

ほっといてくれ

 

自分が行動することで自分^ ^

 

喜びたいと同時に、

人がよろこんでくれなかったら意味がない

 

もっと普遍的で

誰でも入って来られるような、平べったいスタンスでやりたい

 

表現したいことがある人のまわりには、必ず小さなマーケットがある

 

軽やかに

自分のアンテナを働かせて生きたい

 

<ここからメモを読み返しながら感想 ↓>

 

私が辞めた仕事に対して持っていた漠然とした違和感を

説明してもらったような気持ちになった本

 

私はきっと、そこではすでに「いない」仕事をしてしまっていて

どこかで「いる」仕事をしたいと願っていたのかもしれない

 

だから辞めた

 

家事だけを仕事としているなら

今こそ「いる」仕事をすべきとき

 

ここでも「いない」ままでしかいられないなら、

「いる」仕事を探して、それをすべき。

 

 

どうやって

「いる」仕事ができる人になれるのだろうか

 

一歩一歩、模索中。

今私の仕事は、模索しながらの産物なのかも。 

  

 

それでは、今日も良い一日を。

ごきげんよう

 

しら月堂