しら月堂のいろ鳥どり

脳内整理と断捨離のため、徒然に

全ては借りもの

ごきげんよう

いろ鳥どり、しら月堂です。

 

ここのところ、

死を考えさせられることが多くあった。

6月も近くなってようやく元のペースに戻った感じ。

 

なんだったんだろう。

 

家中、頭の中じゅうの、不要なものを手放していきたくて

四苦八苦している日々。

 

ふと、

捨てられない執着はなんだろうと思う。

 

手元に置いてさえおけば、自分の支配下にある、という奢り。

手元に置いておかないと、自分に残せない、という恐れ。

 

買ったものは確かに生きている間の所有権を得たものではあるが

いつ自分が死んで、それらにアクセス出来なくなってもおかしくないという現実がある。

 

そういった意味では

買ったものも、今世で意識があるうちの所有権を得た、というだけのこと。

 

自分の身体でさえ、

この世を生きるために与えられて借りているもの、という捉え方もできる。

 

借りものの「身体」は年々歳を取り、いろんな経験をして、様々な技などを身につけたりして、ボロボロになって使い切り、土に戻ることが決められている。

 

この身体を操縦する「意識」の方は、いつまで自分らしく思考し続けるのか、いつまで外部からの刺激にタイムリーに反応できるのか、

身体は意識が命じた通りにいつまで動くのか、

両方、約束されたことはなくて

この先もずっと正常に動き続けるかもしれないし、動き続けないかもしれない。

 

不確定だからこそ、

正常に動いている今がすごく貴重なことに違いない。

 

正常に動いているのだから

できることをどんどんやろう。

やりたいことは次々やろう。

 

いつ、それらをお返しする時が来ても

あれしておけばよかった、という後悔が残らないように。

 

ところで「意識」は借りものなんだろうか・・・?

「意識」だけは、いつになっても別れることのない、自分という存在そのものなんだろうか? 

 

なんとなく、

「意識」はフラッシュメモリ+OSみたいなもので

記憶というHDDとセットで機能しているような気がする。

 

積ん読なんてさっさと読み片付けて

「今ここ」の興味にだけ忠実に全エネルギーを注ぎ込む生き方にシフトするぞって

 

手元に置いてたって、死んだら強制的に所有権を失うんだからね!

手元に置いておかなくったって、自分に染み込ませることができるんだからね!

 

・・・って、決意を込めて。

 

急いで片付けちゃおう!!

(それにしても…1日1冊でも1年以上かかるよね〜泣)

 

それでは、そろそろこのあたりで。
どうぞ今日も良い一日を。

ごきげんよう


しら月堂