〈本〉メメント・モリ(藤原新也・2008年)
図書館から借りて来た本。
過去の恩人が好きな本と言っていて
呪文みたいなタイトルが気になって読んでみた。
また、ここにも「死」があった。
分厚い、しっかりした本だったから
さぞや文章が多くて読みにくい本なのだろうと構えて開いたが
大きな文字でバンバンと書かれた内容と印象的な写真で構成された本だった。
「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」
そんな一文から始まって…
なんだ、このデジャビュ感…と、ドキリとした。
この間読んだ、「自分をいかして生きる」だ、と思った。
今やっているその仕事に、「自分」が存在しているかどうかを突きつけられた本。
呪文みたい、と思った「MEMENTO-MORI」とは
ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語なのだそう。
Wikiには、
「ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「死を記憶せよ」「死を想え」などと訳され、芸術作品のモティーフとして広く使われる。」
…とあった。
この頃みているアニメにも出て来て、ちょっとシンクロを感じた。
私の周りの世界は、この頃ずっと、私に死を意識させようとしている。
この本でもう一つのデジャビュ感はこの一文。
「ひとがつくったもので、
ひとがこもらないものは、寒い」
この言葉が響くということは
「自分のいる仕事、自分のいる創作物。」
私はそれを創らなければいけないし、創りたいのだろうなぁ、と重ねて思った。
雑に生きてきた時間が長くて、今まであちこちに置いてけぼりにしてきたものを
拾い集めている今日この頃。
今日はまだ
(自分は)死なない、
(自分の大事な人に)死なれない
と過信しているけど、それは過信だと、本当は知っている。
今すぐ、ここから、大事に生きよう。
今まで通り、かもしれないし
今こそ、かもしれないけど
とにかく、今を生きている楽しみのために生きよう。
それでは、この辺で。
みなさん、今日も良い一日を。
しら月堂